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そして船室の廊下に、静寂が訪れる。 「(…殺ったか)」 槍を伝ってきた生暖かい液体がグローブに染み、その手を濡らしていく。それはもはや、彼にとって意識するに至らない、慣れた感覚でしかなかった。 憂いの瞳-10 ズッと槍を引き抜くと、巨体は沈黙のまま床に頽れる。床には赤い染みが広がり始め、散らばった鎌の破片をも飲み込んでいく。 と、一本の短刀の姿が直立したジェイドの眼に止まった。破片の中に紛れて床に転がっている、半透明の刀身を持つ短刀。言われずとも分かっているが、一筋の閃の正体は、これだ。そしてその閃を放ったのは、二人と共に駆けて行った以外の誰でもない。 「『解析視覚』…」 短刀一本でこの大鎌の刃を破壊するには、最低3つ、条件がある。一つ目は、短刀を自由に操り、一ミリも違えず命中させることが出来る位、精密な命中率と集中力を保持している事。二つ目は、大鎌の何処に当てれば最小限の力で破壊できるか。つまり、鎌のどこが弱いのか、弱っているのか知る事ができる力を持っている事。三つ目は、 「……」 槍を濡らしていた血を払い腕に戻すと、ジェイドはもうすぐ血の海に飲み込まれそうになっていた短刀に手を伸ばし、拾い上げようとした。そして気付く。 「(―重い…)」 三つ目は重量だ。改めて拾い上げその短刀を見つめるが、軽く見積もっても三キロはある。 大男が持つ程の大刀なら合点がいくが、これは明らかに不自然だ。 そしてその重量の短刀を軽々と扱い、『解析視覚』の力を持つ女性、・。ラルゴが口走った、『セブンスアイズ』という言葉の意味は今の所理解しかねるが、ジェイドは自分の懐にその短刀をしまうと甲板への扉を見つめた。 ふと思考を止めると、先程の破片の雨の中で見た深みの増した橙色の双眸が、脳裏に鮮明に焼きついている事に気付く。ただ、またしばらくそれと合間見える事は無いかも知れない。そんな気がする。 「…?」 気がする…? 思わず立ち尽くし、自身の心に問い掛けた。気がする、なんて思ったのは随分久しい。 「大佐!」 「…―イオン様は彼女達にまかせて、我々はブリッジを奪還しましょう」 ジェイドは駆け寄ってきたティアに薄く微笑みかけると溜息混じりに壁際でへたり込んでいるルークを一瞥した。何のためらいも無く人を刺したジェイドの行動に驚き、恐怖さえ感じた少年は怯えきった目で眼前に広がる血の海を見つめている。 「ルーク!」 「あ、あぁ」 「…―時間がないわ」 ティアに叱咤を受け慌てて立ち上がり、焦燥を隠すように大股で歩き出したルークの背がまるで幼い子供の様に見えた。 「退きなさい!!」 教団支給の剣を振り翳し、迫る兵士の横一閃を素早く退いて躱すとすかさずその兵士の腹部にカトラスの刃が叩きつけられる。鈍い音がして、鎧が砕ける頃には既に兵士の意識はない。甲板への梯子を上り、ハッチまであと少しと云う時、隣を駆ける人物から何やら刺々しい視線を感じた。視線に気付いたがその方を見ると、かなり不服そうな顔をしたアニスが、を横目で睥睨していた。 「…どうかした?」 「ちゃんと後で説明してよね」 声のトーンが低い。と云う事は素で、しかも怒っている。ぷい、と視線を逸らすとアニスはイオンを気遣う様に振り返った。あぁそうか、アレか。とは独りでに苦笑いを浮べてしまう。しかし、そうは思っても返事は一つしかしようが無いのだが。 「…ごめん。ここから脱出出来たら、ちゃんと説明するから」 「じゃぁ早く脱出しよう!!」 即答。そしてペースアップ。イオンも何とか苦笑いで追いついてきている。 「…ええ」 兵の数も思っていたほど多くは無い。これは案外早く脱出出来そうだ、と安堵しかけた、その時だ。 ピクリと反応したが次の瞬間、声をあげた。 「…!?―魔物っ!!」 「え!?」 突如現れた気配。上空から鳥獣の影が、しかも物凄い疾さで舞い降りてきていた。兵の数の少なさに安堵しかけていたのが仇となったか、 「っきゃぁあっ!」 「アニス!!」 急降下したグリフィンがイオンを庇うように身を乗り出したアニスに直撃した。数メートル吹き飛ばされ、甲板に転がった少女の元にとイオンがすかさず駆け寄ると、 「アニス!大丈夫ですか!?」 「痛ったぁああ…あ!」 二人に支えられて何とか起き上がったアニスだが、自分の懐に手をやった瞬間、顔色が変わった。 「どうしたの!?」 「……」 見る見る内に憤怒の表情に変わっていくアニスの視線は、滞空し羽ばたいているグリフィンに注がれている。そして、たった一言。 「…親書…返せぇええええっ!!」 だん、と甲板を蹴って駆け出すと背中のトクナガに手を伸ばし巨大化させ、その上に飛び乗った。100%臨戦態勢だ。 「親書!?あ―」 そしても気付く。よく見れば、滞空しているグリフィンの嘴にも若干苦労してエンゲーブまで届けた親書がくわえられているではないか。だが、いつまでもその場で滞空しているのはおかしくはないだろうか。 まるで、おびき寄せている様な― 「―!!アニス、駄目!!!これは…っ」 罠だ。 アニスを引き留めようと三歩、イオンから離れた、途端だった。 の背後、イオンの傍に別の気配が降り立った。瞬時に振り返り構えたが、流石に遅かった。 「動くな、導師を守りたければな」 突きつけられた譜銃に思わず唇をかみ締める。そして、を挟むように降りて来た更なる気配に、肩越しに振り返ると。風に靡くピンク色の髪、従えるは猛獣、ライガ。 「イオン様、私達と一緒に…来て、下さい」 「!リグレット、アリエッタ…!」 甲板に、ひと際激しい風が吹き始めた。翻るツインテール。そしてそれに似つかわしくない怒号が飛ぶ。 「おりゃぁああ!!」 ゴッ 鈍い音をたて、巨大化した人形の殴打を喰らったグリフィンの嘴からこれまで必死に守ってきた紙切れ―親書が離れ、ひらりと宙に舞った。すかさずトクナガの上に構えていたアニスがそれを掴み取った。 「よっしゃー!!」 何しろこの手紙の行く末にマルクト帝国の今後が掛かっている。それ以前に、これを失せたなどという失態がジェイドに知れた時の方がアニスは怖いと思った。だからこそ愛らしさを孕んだその顔に安堵と、誇らしげな笑みが浮かぶ。 が、 「アニス!左を見―」 焦燥したの声。 「!?しまっ…きゃぁっ!!」 アリエッタの従える更なるグリフィン達から猛突進を喰らわせられ、少女の体と巨大な人形は呆気なく甲板上を越えて柵の外側に投げ出されてしまった。重力に従って瞬時に二つの影は甲板のの立つ位置からは見えなくなり一瞬の静寂に、グリフィンの咆哮が重なった。 「アニスッ!!!!!」 青ざめたが鋭く叫ぶと、数秒後、 「だ、、いじょうぶ…!」 驚くべきことに、いや、喜ぶべきか、柵の向こうの見えない位置から返事が、叫びが返ってきた。 「大丈夫、大丈夫だから!親書も無事!!だから、」 奇跡的にタルタロスの白い装甲の一端に指先を引っ掛けてなんとか転落を防いだアニスの片手には、しっかりと親書が握られている。しかし容赦なく横から吹き付ける強風に煽られ、利き腕の指先の感覚はあっという間に麻痺していった。恐らく、長くは持たない。 それでも、彼女の脳裏を占めているのは。 「イオン様を助けて、逃げて!!」 柵の傍に駆け寄りかけていたの足が棒になったように動きを止めた。イオンを振り返ると、リグレットの譜銃の銃口がそのこめかみに突きつけられている。だが少しもそれに動じていないイオンはアニスの叫びを知ってか知らずか精一杯の声を張り上げた。 「!アニスを―!アニスを助けてください!!僕は、僕は大丈夫ですから!!!」 自分が殺される事は無いと、何か確信がある様だった。それがなんなのか、今の所に思い当たるフシは無いのだが。 「し、しかし―!」 もしもの事になってしまっては、もはや取り返しがつかない。の頬に、久々に一筋の汗が伝う。困ったことに、板ばさみにされてしまった。打開策を考えようにも、もうそんな暇は残されていないことくらい容易に分かる。 「…アリエッタ―やれ」 残酷にもリグレットの合図が、グリフィンへのこの艦上で最後の命令に変わる時が来た。 「見苦しい…さっさと、堕ちちゃえば良い…のに」 「っ!」 上空で咆哮していたグリフィン達が再びその翼を翻し、急降下を始める。目標はこの甲板上にはない。装甲にしがみついているアニスだ。 「―!」 「そろそろこの艦から降りて頂こうか、・」 オーシャンブルーの瞳が、真っ直ぐ、を射抜くように見つめる。リグレットの言葉で、は全てを悟った。これが、彼女達の狙いか。 「――…くっ」 どうすれば、どうすれば良い。どちらを、選べば良い?否、選べやしない事くらい、とっくに知っているのに。 その一瞬、唇を噛みしめたの脳裏に突拍子も無いことが浮かぶ。 "彼"なら、どうする? 彼なら、あの、頭脳明晰なジェイド・カーティスなら、この危機をどうやって切り抜けてみせるだろうか。 「!!」 「――――――っっ!!」 イオンの悲痛な叫びに、の爪先が浮いた。 憂いの瞳‐10 end |