憂いの瞳‐11





向かった先は柵の外。その背後でリグレットが僅かに嘲笑し、そして踵を返して歩き出す。が一足飛びで柵を越え、空に身を踊らせたのと同時についに堪え切れなくなったアニスの手が装甲から離れた。




「アニス!!」
「!―!?なんで―」



イオン様を助けて逃げろと言ったのに、と続けようとしたが落下体勢からを見上げた瞬間視界に滑り込んできたグリフィン達の影に思わず息を止めた。



―殺られる。



だがその瞬間、一羽の鳥獣の爪の切っ先が鈍く震えた。痙攣にも似たその不自然な動作。そして唐突にグリフィンの背中から赤い液体が吹き上がり、



ザシュッ



「―っ!?」



その巨体が物理の法則など完全に無視して真っ二つに分裂する。体内から血液と内蔵をぶちまけて、舞った羽毛でさえ赤く染まる。空に散った鳥獣の向こう側には紅く塗れた剣と、凛とした橙色の双眸。
大量の返り血をもろともせずはそのまま体を捩ると左右から迫っていた二羽のグリフィンを、右から滑るようにカトラスの刃を一気に振り抜き狙ったようにその頭部を吹き飛ばした。途切れた咆哮の代わりに吹き上がった再びの血飛沫。その様にアニスが寒気を憶えた瞬間、鋭いの声が鼓膜に突き刺さる。



「アニス!掴まって!!」
…!」



差し出され、掴んだ腕はもはや紅一色で濡れていた。手袋越しに感じたのは人の肌の感触からは程遠い、ぬるりとした感触。
頭を失い白色の背骨を露にした二体の鳥獣の体がそこに吹き始めた、自然の風とは考えがたい下からの旋風に煽られてきりもみ状態のままタルタロスの装甲に激突した。白い装甲に描かれた吐き気を催しそうな赤い塊には見向きもせずみるみる内に近づく地表を見つめて、集中力を高めていく。

二人を囲む様に白い音素で描かれた譜陣がその姿を現し、



「―
「大丈夫」



横顔が微笑んだ瞬間、ゴッと真下から突風が吹き上げた。
森林地帯のど真ん中、木々に触れる直前に吹き上げたその突風が辺りの木々を大きく揺らしながらそれまでに蓄積されていた二人の周りの重力を根こそぎ相殺していく。



「(すごい…)」



ジェイドがよく使っていた、タービュランスという風の譜術である事にアニスは危うく気付かずに終わってしまう所であった。二人の体を緩やかに地上に送り届けると役目を終えた暴風は音素を空気中に開放し、元のそよ風へと還っていった。





「あーあ…」


真っ赤に染まった両腕をまじまじと見ながら、が溜息をつく。これを洗わずに、どこへ出かけられると云うのだろう。事情を知らない者から見れば、ただの犯罪者だ。



「近くに川があるみたいだから、そこで洗ったら?」
「あ、ホントに?そうする…っていうか、ごめん。アニスの手も―」



白い手袋の掌の部分は、当たり前だが、見事に真っ赤に染まっていた。だが、アニスは気丈にも笑う。



「あ、いーのいーのこれは!代え持ってるし、元はと言えばアタシがドジっちゃったせいで…。がいてくれなきゃ正直やばかったし…」



ただ、イオン様が、と呟いた少女には気付いたように声を挙げた。



「あ、アニス」
「?」
「イオン様なら、無事だと思う。奴ら、殺すつもりならもっと早くに殺してるわ」



何か他に目的があるのだろう。それもの考えが及ぶ限り、恐らくアッシュも口走っていた"ヴァンの計画"が関係している可能性が高い。
そこまで口にする事は無かったが、イオンの無事に関してはアニスも思い当たる所があるらしく、



「…そうだよね、きっと大丈夫!」
再び呟くと自分を奮い立たせるように小さく笑んだ。

「それに、まだ艦には他のメンバーも残ってるしね」
他力本願に開き直る気は毛頭無いが、今、すべき事を二人はすでに知っている。取り返した親書を、守り抜くと云う事。



「あ、、もしもの時の集合場所何処か知らないでしょ?この近くにあるはずなんだけど―セントビナーって云う町」
「セントビナーか…ここから少し南に下った所ね。じゃ、ちょっと川に寄ってすぐに向かいましょ」
「うん☆行こ!」



頬にこびりついたグリフィンの血を軽く拭い、歩き出したの背を追いかけるアニス。彼女の脳裏に、未だ焼きついている映像があった。一瞬だが、本当に"恐い"と思った。
グリフィンの血の雨の中で見えた、あの橙色の双眸―