「命の、禁忌…ですか」



3年前、が身を休ませていた部屋。今は軍の会議室になっている。ジェイドは腕を硬く組んだまま、闇に包まれた街を見下ろした。"同じ"窓から。
「ひょっとしたら―お前さんに無関係な話では、無いかも知れんのぉ…」
「……」
老マクガヴァンの小さな呟きに、ジェイドは沈黙で答えた。
翌日の早朝、一行はマクガヴァンの見送りを受けカイツール国境に向けて出発―





憂いの瞳-18





「て、いうかさ」
「ん?どしたの、
既に眼前にある壮大な壁、カイツール国境。検問所に足を向けながらがふと呟いた。爽やかに駆け抜ける風がダークブラウンの髪を靡かせている。
「ここまで来れたのは良いと思うんだけど」
「うんうん」
「私達、旅券無いよね」



「…」
「…」



グランコクマを出てから立て続けに事件続きで気にかける暇も無かった。まぁ、キムラスカへの入国など予想もしていなかった自分に首尾よく旅券が用意できたとは思わないが…このままでは、国境は越えられない。そもそもイオンもマルクトに正式な手続きを経て来ているのではない。どうやって国境を越えるつもりだったのか。



「あ…うーん…」



既に計画を立てていたジェイドやイオンとは別離してしまっている今、アニスも図星の様だ。背中のトクナガが虚しく揺れている。
「予定通り国境際で待つしかないようね。追っ手の事が気にかからないでもないけど」



苦笑いで腰のカトラスを確認する。自分とアニスならば多少の追っ手には対応できるだろう。だが、相棒を預けて二日。いつもの重量が無いのが、少し寂しくなってきた。
と、



「ね、お願いしてみよっか☆と私で」
「は?」
考え込んでいたアニスが突如口を開いたかと思うと、一体何を言い出すのかこの子は。引きつった笑みを浮べたを、
「本気で言ってるんだからね!?」
とアニスが勢いづける。
「私との可愛さなら大丈夫だぁって〜w」
「いや、そういう問題でも…あ、ちょっと!」



国境の兵士の元に歩き出したアニスを仕方無しにも追いかける。まるで、見えない糸に引っ張られる様に。





「あ…あの二人…!」



ルーク一行がカイツールに到着したのは、それから間もなくの事だった。目に止まったのは国境の橋の上で兵士と向き合っている人影。近付くにつれてその姿が鮮明になる。
「証明書も旅券もなくしちゃったんですぅ。通して下さい。お願いしますぅ」
「残念ですが、お通しできません」
「…ふみぁあ」



肩を窄めたのは小柄で、ツインテールの女の子。背には不思議な人形が負ぶさっている。もう一人は、
「あの、事情があるんです。上に掛け合ってもらっても…どうしても、駄目ですか」
「旅券や通行証が無い場合、いかなる特例も認められない事に決まっているんです。事情がおありのようですし通してあげたいのは山々なんですが…無断で通したとなれば後々キムラスカとの問題にもなりかねません。どうか、ご了承下さい、少佐」
「…そうですか、分りました。後程連れが来ますので相談してみます。無理を言ってご迷惑お掛けしました」



ダークブラウンの髪に菫色のコート、腰にはカトラス。人の気配に振り返った瞳は橙色の双眸。遠めではあったが、その姿を見たガイは密かに驚愕した。



「(…!あいつは…!)」



と同じく身を翻したアニスはすっと目を細めて呟く。



「…月夜ばかりと思うなよ」


どすの効いた声は、恐らく本性か。



「アニス。ルークに聞こえちゃいますよ」
「!!」
「―皆!」



イオンの呼び掛けに、互いが再会を確信した。



「きゃわーんwアニスの王子様w」



駆け出したアニスは一目散にルークの元へ。飛びつかれたルークは軽くぐらつきながらもそれを受け止める。



「ルーク様ぁwご無事で何よりでした〜!もう心配してました〜!」
「こっちも心配してたぜ。魔物と戦って二人ともタルタロスから墜落したって?」
「そうなんですぅ…。アニス、ちょっと怖かった…。…てへへ」
「そうですよね、『ヤローてめーぶっ殺す!』って悲鳴あげてましたよね」
「ちょっ、イオン様は黙っててください!w」



久々の再会が嬉しかったのだろう、アニスをからかうイオンはとても安心した様子だ。二人のやりとりと尻目に、ゆっくりと歩み寄ってきたは視線を感じて顔を上げた。



「―大佐」
久しく向けられた笑みにも安堵を覚え会釈しようとすると、それを遮りジェイドは懐を探った。
、お返ししますよ」



すっと差し出された装飾された短刀。二日ぶりの再会だ。



「あ、ありがとう…重かったでしょう?」
受け取りながら、が見上げて言う。それに対してジェイドは、いえ、と笑みを深くした。



「私にしてみればこれを軽々と扱える貴方に驚きです」
「ふふ、努力の結晶よ」
「それを必要とする状況に陥ってはいないかと心配していましたが、大丈夫でしたか?」
「え、えぇ、、まぁ何とか。親書もちゃんとあります」
「それは何よりです」


微笑み合う中、やはり向けられていると分かる探る様な彼の瞳。微笑みが苦笑いに変わったはふと別の視線が自分に注がれている事に気付き、その方向を見た。
一行の中で立ち尽くしている、金髪の青年と視線が合った。自分がタルタロスで一行の中にいた時にはいなかった面子だ。しかし、どこかで見たことがある。首を傾げていると青年が何処かぎこちない笑みを浮べた。
次の瞬間、予想を上回る衝撃が走った。吹き出してくる、記憶があった。










統一された建築様式と白い壁に青空が映える。鳥の鳴き声のするある日の朝、石段を下りてくる軽やかな足音。行き交う人々。その町に茂る緑は朝日を受けて輝いている。



彼女の家に立ち寄るのは習慣になっていた。



『おはよう。マリィ、いるかな?』



肩口程までの茶髪を揺らし、は庭で遊んでいた少年に声を掛ける。すると少年の青い色の瞳が素早く振り返り、爛々と輝いた。



『あ!ちょっと待ってて…姉さん!マリィ姉さん!!が来たよ!』



幼い面差しは嬉しそうに姉を呼ぶ。間もなく奥の扉を開けて少年と同じ美しい金色の髪の少女が姿を現すなり、眉を寄せていた。



『ガイ!を呼び捨てにしないの!!』



姉はいつも弟に厳しかった。そして優しかった。



『いいって、マリィ。私は気にしてないよ』
『全くもう…!ごめんね、。いつも言ってるんだけれど、聞かなくって』
『可愛い弟じゃない。良いな、私も兄弟、欲しい』



少し、羨ましかった。は自分を屋敷に招き入れる兄弟の背をいつも通り、微笑みながら見つめていた――










「貴方…ガイ!?」



小さく声を上げると、やはりぎこちない笑みで返される。



「えっと・・・ひ、久しぶりだな」
「え、お前ら知り合いなのか?!」
やりとりの間に立っていたルークが驚き、交互に二人の顔を見た。も戸惑いながらルークとガイを見つめている。



「あ、いや・・・ルーク、その人・・・」
「え?あぁ、俺の屋敷で働いている世話係の、ガイ・セシルってんだ」



"セシル"…?



その様な名であっただろうか。

しかも、キムラスカの公爵家で働いている?
記憶上、顔は間違いなく彼だ。しかし、



「?…ガイ、あなた―」
「―あ!!」



首を傾げたの言わんとした事をガイは瞬時に把握した。



駄目だ。その先を言っては。今ここで言われてはいけない。





―名前、変わったの?





「名―むぐっ」



咄嗟に、ガイは掌での口を塞いだ。僅かに唇を動かし、の耳元で囁く。



、事情がある。合わせてくれ」


「―!」



迂闊だった。自分に事情があるように、ガイにもそれを明かせない理由があった。二人が同じ出身地である事。そしてそこが何処なのかという事。
事態の急変に瞠目した一行を見回し、ガイは笑顔で言った。



「いや、とは昔バチカルの闘技場で会ったんだ。ウチの選りすぐりと中々良い勝負でな――な?」



口を塞がれたまま、は三度強く頷いた。背後から送られる視線が痛い程突き刺さっている。誰のものかは振り向かずとも分かる。
これは、少々まずい。だが、ガイはもっとまずい事になっていた。



「ガイ…」



ルークがガイを凝視して呟く。



「ど、どうした、ルーク」



「お前、女性恐怖症・・・治ったのか?」



「「「……」」」



「(女性恐怖症……?)」



はっとしたガイが手元を見ると、見上げていたと視線が絡み合った。



「…。…!!!!うわああああぁあああああっっ!!!」



不毛な絶叫がカイツールに響き渡った。



「ガイ、女性恐怖症って・・・?」



接近しすぎたためか腰を抜かしているガイを見、が訝しむ。
昔はそんな事、無かった筈だ。



「手が、震える…」



ルークが呆れ顔で言う。
「ガイは女性恐怖症。女に近付けないんだ。何でかは知らねぇけど…うちのメイドにもいっつもからかわれて、大変なんだぜ?」
理由は、ルークも、ガイ本人ですら分からない。という事だった。



「へぇ、…いつの間にそんな…大変ね」
「でも今、に触れたよな?ガイ、治ったんなら言えよ〜」
「い、いやぁ、今のは、まさかこんな所で会うとは思ってもいなかったから…びっくりしてな」



治ったわけではないな、と冷や汗で額を濡らすガイに、にやりと笑みを浮かべ、詰め寄るルーク。



「しかも俺に黙って闘技場行ったなんてな!ひでぇよ!!」
連れてってくれって頼んでたのに、と。



彼のテンションでこの場は紛らわせられそうに思えたが、今回ばかりは見逃しかねたジェイドが普段通りの笑みを浮べながら口を挟んだ。やはり誰の眼からして見てもあまりにも不審すぎたらしい。



「びっくりしたにしても何も口を塞ぐ事はないでしょう?…何か、言われては困ることでも?ガイ」
「いや、そういう訳じゃ…」
「ではどういう訳ですか?」
「!ジェイド、大した事じゃないのよ」



が冷静を装い、それとなく二人の間に割って入った。



「ガイってばあの時闘技場で、自分の所のチームが名も無い私のチームに大敗しちゃったもんだから…それを言われたくなかったんでしょ?」


ガイを振り返ったその表情は、業務用の見事な程のポーカーフェイス。
「大敗って…いや、あれは良い勝負だったって。まぁ、負けた事には変わりないけどさ」


ガイも慌てて合わせるが、それだけでジェイドが納得するはずもなく、


、あなたはいつバチカルの闘技場へ?」
「私?確か…神託の盾に入る前よ」
「そうですか…神託の盾に入る前となると、相当幼い頃ですね」
「えぇ、生活が苦しかったもので。賞金で夕食を凌ぐ日もあったわ」
「おやおや…」



苦笑を浮かべるの橙色の瞳は、まっすぐ見上げてくる。白々しい演技めいた言葉とは対照的な、切実な瞳。



「(何故、そんな瞳をする?)」



「…」
「…」



沈黙。
イオンが今にも仲裁に入りそうな素振りしたが、それよりも先に溜息をついたのはジェイドだった。



「まぁ、いいでしょう」
「ありがとう」



察して欲しい、と胸の内の言葉が通じたわけではないのだろうが、ここはどうにか、見逃してくれるらしい。今できる精一杯のお礼は笑顔と感謝の言葉のみ。



「ガイ!ゼッッタイだぜ!城に帰ったら俺もつれてけよな!!」
「あぁ、分かった分かった!」



遠い昔の架空の出来事に心を燃やしていたルークが、気が済んだのか一息つき、を振り返る。



「にしても、お前も落っこちたって聞いてびっくりしたぜ…って、全然大丈夫そうだけど」



「えぇ、大丈夫よ。そっちも大変だったでしょ?」
「おう!こっちも六神将やオラクルの兵士に襲われるわでもう…早く家に帰りてぇえ…」
「ふふ、ホームシックも相変らずねぇ」
「うるせっ、そんなんじゃねーよ」



と、そこにイオンやアニスと会話していたティアが話を切り出した。



「ところで、どうやって検問所を越えますか? 私もルークも旅券がありません」



一瞬忘却の彼方に追いやられていた旅券問題。
あ、私も無いのよ、とも同意の声を上げようとした、その瞬間だった。



「ここで死ぬ奴に、そんなものはいらねぇよ!」



低い声と日光を受けて輝く白刃がルークの元に降った。






憂いの瞳-18 end