憂いの瞳-2



一瞬、思考が止まった。




少佐…?」





「…!!りょ、了解!すぐ行きます」





カトラスと古びた短刀の二本をベルトに括り付け、早足で宮殿に向かいながらはぐるぐると考えを巡らせた。
あのピオニー陛下が、宮殿の末端にも地位を持たない自分を呼び出すのは軍への所属が決まって以来指を折り数える程しかない。
一体、何の用があるというのか。牽引されるような事を仕出かした覚えは無いが。



緑に覆われた中庭を抜け、警備兵に会釈をすると重たい扉を押し開けた。荘厳な雰囲気に包まれた宮殿はいつ訪れても圧倒されるため、にとってはどうにも馴染めない場所の一つとなっている。





宮殿内を進み謁見の間に通されると、上座に置かれた大きな椅子にピオニー陛下が悠々と座っていた。肩に届く程の金髪に整った顔立ち、青い瞳、それに言い表せないが確かに纏っている覇気は皇帝陛下のそれである。





「私服での無礼をお許しください」
跪いたがまず詫びるとピオニーは気にするな、と余裕に満ちた穏やかな物腰で右手を軽く挙げる。





「急に呼び出して悪いな。…一つ、休暇に入る前に頼まれて欲しいんだが…」
「?何でしょう?」
「…この親書を、今から大至急で横にいるマルコに同行し、エンゲーブにいるジェイドに届けてくれ」
「ジェイド…第三師団長ジェイド・カーティス大佐に、ですか」
「そうだ」





はピオニーの傍に立っている側近の兵士が差し出した封書を受け取り、再度ピオニーを仰いだ。





「(親書…?)」





疑問の表情を浮かべていたの心情を察したのか、元より事情を説明するつもりだったのか、ピオニーは続けて言う。





「事は最重要機密事項にあたる、決して他言はするなよ。その親書は、キスラスカ国王に宛てたマルクトとキムラスカとの平和条約締結の提案書だ。」
「平和条約…!」



前々からキムラスカ王国とマルクト帝国の当たり前のような仲の悪さは知っていたが、まさかこんな話が持ち上がっていたとは知らなかった。



「ジェイドには俺の代わりにキムラスカ国王へ親書を届ける使者の役目を任せてある。タルタロスの緊急任務で昨日の内にここを発ったんだが、親書の作成だけが遅れてしまってな。
任務が片付いてから一度取りに戻るという話もあったんだが…こちらから出来次第届けたほうが早いだろう」



封書をマルコに渡すとは膝を折り、礼儀正しく頭を下げた。



「解かりました。そのような重要な任務を私のような者に陛下から直々に任せて頂けるとはこの上なく名誉な事。謹んでその任務、遂行させていただきます」



「そう固くなるな、。俺だけじゃない、ゼーゼマンからの推薦でもあるんだぜ」


「―――参謀総長が……」


そうですか、と小さく呟くと一瞬目を伏せた。



「機密とは言え、事実の漏洩を完全に防ぐことは出来ない。来ないに越したことは無いが、"そういう"奴らが動いているという情報も入って来ている。いつ情報を探り襲って来るか解からないからな」



口ぶりから、どうやら道中何らかの妨害が入る可能性があるらしい。平和条約締結を快く思わない反乱分子か、世界には、世界が平和なって困る輩も沢山いるといると云うことだ。



「親書を、守り抜けばいいんですね」



「つまりそういう事だ。エンゲーブに届けた後はそのまま休暇に入ってもらって構わない」
「了解、です。」
「事態は早急を要している、頼んだぞ」





国王への使者、と云うことはジェイドはマルクト皇帝の代わり、と云う事である。改めて、彼の凄さを実感した。



その時、ふと脳裏に新たな疑問がよぎった。キムラスカとマルクトは今、いわば一触即発の状態の筈。そんな時にいきなりマルクトの、 それも軍の人間が敵国に乗り込むというのは流石にまずくはないのだろうか。



誰か仲裁者がいるのなら、話は別だが。いくつかの推測は浮かんだがいくら考えても今しがた平和条約締結の話を聞いたばかりのには確かな答えを見つける事は出来そうにも無い。



「(まさか…。…まぁ、私なんかが心配するまえに、既に対策くらい考えてあるんだろうけど)」
何しろ陛下には懐刀と称されるジェイド・カーティス大佐がついているのだから。





謁見の間から退席し、マルコと共に帝都入り口に向かって歩き出した。マルコ曰く、入り口に軍の馬車が待機しているとの事。



少佐」
「私の事は呼び捨てで構いませんよ。私はあなたの所属している団の人間ではないですし」
「いえ、それはできませんっ!!ですが…少佐、お会いできて光栄です、私の事はマルコとお呼び下さい!!」
「はぁ」





今から重要な任務につくというのに、マルコはどこか楽しんでいるようにも見える。自分の上官であるジェイドに絶対の信頼を寄せているからなのだろうか。単に自分が重く受け止めすぎているだけなのかも知れないな、とは苦笑いを浮かべ歩調を緩めた。

町並みをあっという間に通り抜け、やがて帝都の入り口に馬車の姿を捉える。



「入隊二年半で少佐に昇進されて…それに、数々の戦果、噂に聞いております」
「そ、そうですか…?でも、あなたの所の師団長には遠く及ばないと思いますけど…」





馬車に近づきながら、は一度だけ、帝都を振り返った。水の流れの中に佇む町並みは、いつも美しいと思う。今日は天気も良く、空には、雲一つ無い。
あの時泣きながら見上げた空とは、似ても似つかぬ美しい色の蒼。





馬車の御者に会釈をし、奥にマルコを乗せた後、扉側にが乗り込む。御者が馬の背中を鞭で打つと、馬の嘶きと共に馬車が動き始めた。座椅子の背もたれに背中を預け、窓から動く景色を眺めるに、再びマルコが声を掛けた。



「確かに我が師団長であるカーティス大佐も素晴らしい方です。しかし、噂に聞く少佐の強さは、大佐のそれとは一味違うものだと聞きます」
「違う…?」
「どんな任務の時も少佐は“兵士を生かす作戦”をする、と」
「………」



景色が移り変わり、窓の外が薄暗い森へと変化していく。



「最近一年間では各戦闘で一番死傷者が少ないのは第二師団、特に少佐の率いた隊なのだとか。少佐の指揮下で戦闘に参加した兵士達は、その戦闘中、仕掛けられた罠や譜術による攻撃を滅多に受ける事が無いとも聞きます。」
「そ、そんな噂が…」



死傷者は出来るだけ出さないようにだけ努めてはいるが、他の師団の戦績などの情報を余り気に留めていないため、マルコから聞いた情報はどれも知らないものばかりだ。



「本来、軍の兵士は国のために命を落とす覚悟で任務に勤しむべきもの。しかし、妻子がいたり、親を養っている兵士達の間では特に少佐には定評がありますよ」


多弁に語るマルコの言葉に圧倒された
「そんな風に言われたのは…初めてです」
と応えることしか出来なかった。



「どのような譜術を用いてその偉業を成されているのか、簡単な譜術しか使えない私には知る由もありませんが、少佐の強さもまた、素晴らしいものだと思います」



ここまで言われると、何だか妙な気分になる。



「いえ、アレは譜術というより―――…!?」





ざわ、と辺りの気配が一変した。周囲の木から一斉に飛び立った鳥達の鳴き声で森の静寂が断ち切られる。不自然に言葉を切るとは眼を眇めて窓の外を見、手でマルコに“動くな”とサインを送る。



「少佐…?」
「親書をしっかり持って、ここにいなさい。…馬車を停めて!」



の声を聞いた御者の兵士が、馬車を停める。すぐに身を滑らせるように馬車から降りると、足音を潜めて馬車の少し前まで歩み出た。振り返って御者にも馬車の中にいるように指示すると再び向き直り、鳥などの生き物の気配が極端に失せた森に視線をめぐらせる。





何かが、いる。





憂いの瞳-2 end