憂いの瞳-3







自分達以外の生き物がいなくなった訳では無い。だが、あるのは野生の魔物の気配ではなかった。

突如、の足元のすぐ傍で、白い光が炸裂する。



「…白雷…?!」



同時に獣の咆哮が森中を駆け巡ったかと思うと森の背高い草陰から三体の黒い獣の影が躍り出し、一つの人影が木の枝から飛び降りての前に着地した。 黒を基調にしたワンピースに黒いブーツ、そして結い上げられた金髪。 と同年代位の女性。腕に巻かれた赤い布が後ろに靡いている。両手に握られているのは見覚えのある、譜銃と呼ばれる音機関兵器。
三体の獣の内二体は狼。残りの一体は。



「ライガ…と」



は橙色の瞳を軽く見開いた。ライガの背中にもう一人、人影があったのだ。幼い面持ちの、ピンクの長髪の少女。ライガが懐いている様子からおそらくは魔物使いだろう。
は微動だにせず、ただ、その二人の様子を伺っていた。



「馬車の中にあるものを渡してもらおうか」



金髪の女性が約十歩の距離で譜銃をに突きつけ、低い声で言った。それに対しが切り返す。




「多分、あなた達が探してるような代物じゃ、ないと思うわ」




笑みを浮かべて答える。それが癪に障ったのか一瞬金髪の女性が眉を潜めた様に見えた。




「お前の意見は聞いていない。渡す気が無いのなら、奪うまでの事」
とトリガーに指を掛ける。



その様を見ては呆れたように笑い、やれやれといった感じで眼を伏せた。


「見た目より短気ね。焦っても、良い事はなにもないと思うけど?」

「―――」



金髪の女性がトリガーを引こうとした瞬間、会話の間に少女を背中から降ろしていたライガがその隣に並ぶように跳躍、着地すると咆哮した。発砲を思い留まった金髪の女性が一瞬振り返る。

「アリエッタ!」
アリエッタと呼ばれたピンクの髪の少女が小声で呟いた。



「いずれ邪魔になりそうなものは、芽の内から摘んでおけ、との命令、です」


「(命令……?)」




細腕に抱いた人形を更にぎゅっと抱きしめると、


「…あの人も馬車にいる人も、殺して」
その呟きは、に宛てたものではない。


「!!」




獣の巨体が再び跳躍し、白雷を纏った牙を剥き出しにしてに飛び掛った。巨体にも関わらず恐ろしく俊敏なその獣は一瞬にして間合いを詰め、の眼前に迫る。

少女には一見、が成す術も無くただ立ち尽くしている様に見えた。言葉の割に手応えのない奴だ、と金髪の女性が譜銃を下げかけた、
その刹那―――





「―遅い」



低い、氷の刃で斬りつける様な冷たい声。ライガが接近しすぎていたためにその死角に隠れ、どんな顔をしていたのかは見えなかった。だが、豹変したのは、確かに声だけではない。気配が、まるで別人だ。
びく、とライガが身を震わせると体を捩り後ろに飛び退く。迸る電流はもはや見る影も無く、再び見えた先程と大差ない笑みに二人は戦慄した。



「!?」



アリエッタがライガに駆け寄るのを横目に、金髪の女性は譜銃を構えの眉間に標準を合わせると今度は躊躇する事無くトリガーを引く。



音素が炸裂する音が、森の空気を裂いた。だが、または、平然と首を傾げている。



「……何…?!」



「…ちゃんと狙ってる?そんな良い物持ってるんだから、もっと上達したのかと」




「…!?――黙れ!」




金髪の女性が一瞬だがうろたえた表情を見せた。しかしすぐに表情を引き締め、舌打ちするとその音を打ち消すように再びトリガーを引いた。弾切れになるまで何度も。鳴り響く、銃声。立ち込める火薬の臭い。




「(何故…当たらない……!?)」




最後の二発の行方を、金髪の女性は見た。確かに、弾は直前まで女の心臓、眉間に向かって飛んでいる。命中するまでほんの少しという所で、
どういう訳か、弾丸が逸れている。
女は眼を閉じ、ただその場に突っ立っているだけなのに。




「リグレット…」
「……」




アリエッタが見上げると金髪の女性、リグレットは困惑の表情を浮かべている。





「………満足?」





カトラスではなく、古びた短刀の柄を掴みながら、が静かに瞼を持ち上げた。その瞬間、リグレットの顔色が変わる。



「…―まさか…!」

「リグレット…ライガが…」




僅かに唸り声を上げながら震えているライガの背中を摩りながら、アリエッタが縋る様に呟いた。弾切れになった譜銃を潔く降ろすと、無言で踵を返し歩き出す。は依然として刀の柄に手を掛けたまま、微笑んでいる。



「…撤退だ、アリエッタ。物がある事は解かった、奪うのは後でも十分間に合う。―今は、閣下に報告するのが先だ」



抑揚の無い声で言いながら振り返り、を一瞥する。いつの間にか、の手は刀の柄から離れていた。



「…はい…」



アリエッタは震えの治まったライガと狼を引き連れ、リグレットの後を追う。彼女もまた、同じ様に一度だけを振り返り一瞬何か言いたげな顔をした様に見えたが、やはり何も言わず、二人は森の奥へと去っていった。



気配が完全に消えたのが分かったのか、は馬車の方へと戻り御者に馬車を進めるように指示すると、元通りマルコの隣に腰を降ろす。



動き出した馬車の中で、マルコが叫んだ。



「少佐ッ!!奴等、一体…!?」
「マルコ、落ち着いて。もう済んだから、いいの」



慌てふためいている様子のマルコを、がたしなめる。


「やはり情報が漏れていたのですか!?」
「いえ…、分からないけど…物盗りの様だったから、こちらが軍の人間である事と、高価なものは何も持っていないと伝えたら引き下がってくれたわ」
「しかし、あの獣達はっ…!」
「魔物使いの獣よ。全く…珍しい物盗りに会ったわねぇ」


無駄な争いは避けるに越したことはないわ、と本当に何事も無かったかのように、苦笑いを浮かべている。毒気を抜かれてしまったのか、マルコは


「そうですか…?」
と思わず納得の声を上げざるをえなかった。それを聞いたは小さく頷き、再び窓の外を眺め始めた。










「(本当に物盗りだったのか…?)」





マルコは森を抜けるまで、自問自答を繰り返していた。あれが本当にただの物盗りな訳ないだろう、と正直な所思う。だが、確かにその奇抜な格好をした者達はと何らかの会話を交わし、ただ去っていったようにしか見えなかった。
大きな影がに飛び掛かり、銃声が鳴り響いたのでマルコは思わず馬車から飛び出そうとしたくらいなのだが、実際の所はずっと同じ所に立ち、こちらに背中を向けていた。しかも銃声は威嚇射撃だったのか、彼女は無傷である。


馬車の中に居たためどんな会話をしたのかも聞こえなかったが、いずれにしても薄暗い森の中で何が起こったのか詳細を知るは彼女と襲ってきた者達のみ。その本人が笑顔でもう済んだと言っているのだから、本当に何でもない事だったのかも、知れない。帝都近郊の森には軍が目を瞑っているだけで、潜んでいる者達がある程度居ることは周知の事実だ。



「(一応エンゲーブについたら大佐にだけは報告しよう)」



マルコは改めて手元の親書をまじまじと眺めた。





光が当たりに満ち始め、生い茂っていた森の木が徐々にまばらになっていく。
天気は快晴。馬車は森を抜け、広大な平原に出た。グランコクマの南に広がる、ルグニカ平野である。平野のほぼ中心辺りに目的地のエンゲーブ、そしてその更に南にはソイルの木で有名なセントビナーがある。


「森を抜けましたね」
とマルコ。


「えぇ、エンゲーブまでもうすぐ…」





車窓のすぐ傍の、奥へ進むとチーグルの森へと続くと言われている林道を何気なく眺めながら、は数十分前に会った“物盗り”として片付けた者達の事を考えていた。



金髪の女性とピンクの髪の少女、二人は神託の盾騎士団六神将のリグレットとアリエッタだ。まさかあんな所で、あんな形で再会してしまうとは。と、思わず溜息が漏れる。リグレットとは直接の面識はない一方、アリエッタとは元同僚だ。
そして気になった事と言えば、アリエッタの『命令』と言う言葉と、リグレットが『閣下』と言った事。それが聞き間違えでないのなら、今回の襲撃の首謀者の正体には自ずと予想がつく。



「(確か、今のローレライ教団の主席総長は、ヴァン・グランツ)」



しかし、ヴァンが平和条約締結の邪魔をする理由には思い当たる節は無い。ヴァンは、預言に執着していない。むしろ、その逆だとは思っていたのだが。



「(ヴァンの上司にあたるのは…大詠師モース…これは、まさか…予感的中?)」



どうにも、嫌な予感が先程からに付き纏って離れようとしない。預言溺愛の大詠師モースの反対を押し切っての導師イオンのプライベート旅行。旅行先と親書の届け先は同じ。そしてキムラスカとマルクトの間に入るであろう、どこぞの仲裁者の存在。
はぁ、と二度目の溜息が漏れたところに、すかさずマルコが突っ込んでくる。



「どうかなさいましたか?」
「え?いえ、、これからの事を考えると…色々とね…………ん?」





動く景色の中、林道の木々の間にちらりと人影が見えたような気がした。かなりの距離があるがよく目を凝らして見ると確かにそこには人が歩いている。その人物は見た所一人で、小柄で、法服を身に着けていて、濃緑の髪の…



「…うそ」



は自分の目を疑った。



「?」
「……マルコ」
「…はい?」
「エンゲーブはもうすぐそこに見えてるから…もう、大丈夫よね?」
「…え?えぇ、まあ、これだけ天気も良く見通しが良いので、大丈夫だと思いますが」
「じゃぁその親書、あなたが大佐に届けて」
「えっ?!ど、どういう事ですか!?」



脇に置いていた愛刀二本を引っ掴むとは馬車が動き続けているのにも関わらず、扉を開け放った。平野を巡る風が、馬車の中に吹き込んでくる。



「ごめんなさい、今事情を説明してる暇はないの。けれど非常事態なのは確か。後で必ず説明するわ」



その焦燥した様子に事態を察知したマルコの判断は、



「……―――分かりました!お任せください!!」
「ありがとう!…あ―――」




馬車から身を乗り出そうとする直前、が振り返った。

「エンゲーブにいる、神託の盾<オラクル>騎士団所属導師守護役、アニス・タトリンに伝えて頂戴。小柄で、黒髪を二つ括りにした女の子よ。
 ――――――――」



そして体に弾みをつけ、空中に身を躍らせる。



「!―――了解です、少佐!!」



マルコが敬礼した時には、すでにの姿は馬車の中から消え失せていた。










憂いの瞳-3end