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夜が更け、時計の短針が頂点を過ぎて少したった頃、 宿屋の二階ロビーにふらりと人影が現れた。 やせ細った木の植えてある鉢植えを端に具え、 貫禄のある一畳程の大きさのテーブルと背もたれのあるイスが並ぶロビーは 昼間の賑やかさを何処へやってしまったのか、 そこに響いているのは時計の針が進む音のみ。 だが、ロビーに現れた彼の目は その静寂に溶け込む一人の女性の姿をはっきりと捉えていた。 「…」 いつもは結い上げている柔らかな長い髪を解き、テーブルの一番端の席に 上半身を伏して身動き一つしないの元に ジェイドは足音を潜めて歩み寄ると、向かいの椅子にとりあえず腰を下ろした。 その一連の動作にもが反応を示す気配は無く 垂れている髪と腕の隙間から見える瞼は固く閉じられたままだ。 のすぐ脇に置かれているティーカップを覗くと、 そこには冷めた紅茶が置き去りにされており、 どういった課程を得て今に至るのかは、ジェイドには簡単に予測出来た。 「やれやれ…」 近付いてよくよく耳を澄ませば絶えず聞こえてくる寝息に、 呆れた様に穏やかな溜息をつくと、カタンと小さく音を立てて彼は席を立った。 真夜中のティータイム 眠りの淵にいたに、何かが呼び掛ける。 どこからか、紅茶の香りが漂ってくる。 空白の時間から引き戻され、はゆっくりと瞼を持ち上げた。 「…ん……、…?」 どうやら、うっかり眠ってしまったらしい。 宿に到着してからティアやナタリアと明日の計画を立てたり、 道具の調達といった作業をしていたため 自分の自由時間を手に入れる事が出来たのは日付が変わるほんの少し前になってからだった。 時間が時間だったので何処かへ出掛ける事も出来ず、 持て余した時間を仕方なく一杯の紅茶で過ごそうとテーブルに腰掛け ティーカップの中の紅茶から立ち上る湯気をしばらく無心に眺めていた。 頬杖をついて溜息一つ。…その辺りから、記憶がない。 身じろぎをしてふと目線を横に滑らせると 徐々に鮮明になってきた視界の中にティーカップが映った。 まだ湯気が立ち上っている、と云う事は そんなに眠り込んでいた訳ではないのだろうか。 と、そのまま視線を上に上げると――― 「………――」 椅子一つ挟んだ右隣の席に、人が座っていた。 座っていた人物の顔を見、が瞠目する。 その勢いで視界が一気に晴れ、眠気も一気に吹き飛んでしまった。 頬杖をついて微笑を浮べながらこちらを見つめてくる彼の傍にも、 ティーカップが一つ。同じく湯気が立ち上っている。 「………おはようございますw」 その言葉と笑みに、 ハッと我に返ったがジェイドを凝視したまま勢い良く身を起こした。 「?!ぇ!?ななな、何っ――――」 「お静かに。大声を出すと皆が起きてしまいますよ。時間が時間ですからね」 一気に捲くし立てる様に声を上げたを宥め、 ジェイドは自分のティーカップに手を伸ばす。 そんな淡々とした態度に、はつられて声を潜めた。 「ぁっ、は、はい…す、みませ…………って、いうか」 「って、いうか…何です?」 声の調子を普段のそれに直し、ティーカップを口元に運ぶジェイドを見ながら問いかける。 「…私、結構寝てました…?」 「?えぇ、それはもうぐっすりと」 「(あぁああ…)」 ふと時計を見ると、いつの間にか針は1時を過ぎた辺りを指していた。 ということは少なくとも1時間近くはここで眠り込んでしまったという事になる。 どうりで背中が痛い訳だ、と手の甲を背中に伸ばした所で は自分で被った覚えのない、宿の備え付けの毛布が 肩から掛けられている事に気付く。 誰の気遣いなのか、不思議と考えなくても分かってしまった。 ちらりと右隣で紅茶を嗜む彼に視線を向けると まるでがそうする事を知っていたかのように目が合った。 「…あの、これ…ありがとう、ございます」 毛布を指して呟く。 「?…あぁ、いえ、大した事ではありません」 一瞬何の事かと首を傾げたジェイドだが、すぐに事を察して笑みを返すと、続けた。 「それよりも、紅茶が冷めてしまいますよ。 せっかく入れ直したんですから、今度は冷める前に飲んでくださいw」 時間の経過の割に湯気が立っていると思ったら、そういう事だったのか。 「あぁっ、紅茶まで入れ直してくれたんですか!?」 「私も一服しようと思っていましたから、そのついで…とでも言っておきましょう。 …ま、そんな所ですからお気になさらずに。」 「…ハ、ハイ……じゃぁ、い、頂きます。」 白いティーカップの取っ手に指を掛けて持ち上げると、それを静かに口元へ運ぶ。 しばらくの間、二人は無言でティーカップと向かい合った。 「(…あれ…?)」 口の中に紅茶を流し込んだ瞬間、軽い違和感がを襲った。 同じ紅茶の葉を使っているはずなのに、何か違う。ような気がする。 上手く口頭では表せないが、 ほのかに香るストレートティーの香りに、思わず感嘆の溜息が漏れた。 溜息を聞きつけたジェイドがカップから唇を離してに微笑み掛ける。 「おや、口に合いませんでしたか?」 「ぁっ、いえ、そういう溜息じゃないですよ。 同じ紅茶の筈なのに、大佐に入れ直してもらった紅茶は 何か落ち着いた感じがするなーって、感動してたんです」 は半分程飲んだ所で、一旦カップを置いた。 「これはこれは、私にはもったいないお言葉ですねぇ」 「一々はぐらかすのやめて下さいよー… でも本当に、この紅茶独特の良い香りがよくでてます」 ジェイドがいれた紅茶は、少々紅茶には煩い所があるが飲んでも文句無しの味だった。 ここの紅茶が一番好きなんですよ、と無意識の内に親近感を抱いたの言葉に、 ジェイドは一瞬双眸を細めて穏やかに笑う。 「奇遇ですね、私も紅茶はこの街のものが一番美味しいと思います。 この種類の紅茶はお湯を少し多目にしてレモン汁を入れると より一層良い香りが引き立ち、風味もさっぱりするんですよ」 「へぇ〜…」 新たなる発見。ジェイド・カーティス大佐は紅茶にもお詳しい、と云う事。 再びカップを手に取ったは、残りの紅茶を吟味しながら 意外な一面を見せた男を一瞥した。 「大佐って、何でもお詳しいんですねぇ」 「何でもという訳ではありませんが…しかし、 紅茶の知識は得ておいて良かったです。ここでちゃんと役に立ちましたし」 言葉を返しながら、先に紅茶を飲み終えたジェイドが カップをテーブルの上に置かれたコースターの上に戻すと、 少し遅れて飲み終えたが促されるままに自分のカップをその上に重ねた。 僅かな硝子の擦れる音が、静かな空間の中を弾んで消えていく。 ふと、何を思いついたのかが口を開いた。 「でも、それだけ詳しいとなると、やっぱりマルクトの地方にも 美味しい紅茶がたくさんあるんでしょうね」 良いなー、と背もたれに体重を乗せると椅子を少し傾け、羨ましそうに笑っている。 「そうですねぇ…マルクトは譜術や音機関の研究が盛んですから、 キムラスカには及ばない所もあるでしょうが……、 各都市はエンゲーブから農産品を多く仕入れているので 紅茶ならそれなりの……特に北半球の気候で育つ茶葉なら―――」 ふつり、とジェイドの言葉が不自然に途切れた。 「…。……?大佐?」 背もたれにもたれかかったままの姿勢でが呼びかけると、 正面を向いたままのジェイドが、振り返らずに、 「……―――行ってみましょうか、今度」 呟いた。 「え?」 「案内しますよ、美味しい紅茶が飲める所」 「…大佐が、ですか」 「えぇ。もちろん、あなたさえよければの話ですが」 ――――出来れば、二人で。 驚いて目を見張ったの顔は、次の瞬間には 微笑みにすり替わっていた。 薄く頬を染めながら、今どんな表情をしているのか全く以って予測できない彼の、 頼もしい背中を見つめて女は笑みを零す。 「…―――楽しみに、してます」 ――――全てが、終わったら… end |