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市場を抜けた二人は、路地裏の建物の屋根の下に駆け込んだ。 「あーぁ…」 そんなに長く雨に打たれた訳ではないのに、雨粒が大きかったのか 庇っていた荷物以外はかなり濡れてしまった。 「まぁ、夕立のようですから…すぐに止むでしょう」 肩や腕の水滴を払いながら、ジェイドは暗く曇った空を見上げる。 「…大丈夫ですか?」 「…え?」 ジェイドに声を掛けられた所で、は濡れた髪やスカート絞っていた手を止めた。 「すぶぬれですよ、風邪でも引いたら─」 「ぁ、だ、大丈夫です…寧ろ大佐の方が…いえ、それよりごめんなさい。 買い出し手伝わせてしまったばっかりに…」 「良いんですよ。手伝いを申し出たのは私の方ですしね」 「は、はぁ…」 そして壁に背中を預けたまま、二人は黙り込んだ。 ジェイドと旅路を共にしてしばらく経つが、どうにもぎこちなさが取れず落ち着けない、気がする。 元々、は考えや感情をあまり表に出さない人間が少し苦手なのである。 ジェイドが、まさにそれに当てはまる。 「(こう言っちゃ悪いけど、ルークやナタリアの方がよっぽど馴染みやすいのよね…)」 「─どうしました?」 突然降って来た声に、は飛び上がった。 「ッ!!?えっ、な、何がです?」 心臓が止まるかと思った。 「溜め息をついてこんな雨模様の空を見上げて…何か悩み事でもあるのかと」 「溜め息…ついてましたか」 「とーっても憂鬱そうに。そんなに雨が嫌いですか。」 その不敵な笑みを見ていると、心の中まで見透かされているのではないかと考えてしまう。 そんな事はないと、信じたいが、この策士なら有り得る気がしてしまうのが怖い。 「…ちょっと、ぼーっとしてました」 我ながら苦しい言い訳しかできないのが悔しいが、仕方ない。今はそれ以上頭を働かせる事は難しい。 「…ぼーっと、ですか。 まぁ、あなたが呆けるのは今に始まった事ではありませんしね。」 さらりと言われた嫌味を、は危うく聞き流す所だった。 「…!?呆けてなんかないです!」 「おや、そうでしたか。これは失礼。…ではもしかして、 私と二人っきりなのが気まずいと思っていた、とか…?」 「え」 ずばり的を射られたがここは悟られる訳にはいかない。 完全にジェイドのペースに飲まれているが、表情筋はまだ自由に動かせる。 「それも、違います。…しかも、私は雨が嫌いではありません。」 寧ろ雨の音は自分を落ち着かせてくれる、とは穏やかに続けた。 嘘ではない。からこそ説得力があったのか 「確かに…そうですねぇ、 私も、雨の日は溜まった仕事が捗る気がします」 「大佐が仕事溜める事なんてあるんですか?」 「ありますよ〜?研究結果のまとめならまだしも、 事務関連のデスクワークは面倒臭くて、、ははは」 意外だった。何でもこなせそうなこの男にも、苦手なものがあったとは。 人間なら好き嫌いがあって当たり前だ。 しかし、ジェイドは外見上抑制が効き過ぎているため どうもそのイメージには結び付きにくい様な気がした。 再び会話が途切れ、その場に静寂が戻って少しした頃。 ふと、は俯き、一瞬表情を曇らせて呟く。 「でも、戦場に降る雨は…嫌いです。」 夕立が更にひどくなり雨音が大きくなったせいか、 の声が随分弱々しく聞こえる。 今まで、あくまでも元軍人である事を否定してきたの口から “戦場”という言葉が出たのは初めてだ。 ジェイドは興味深げにの横顔を見つめ、 一瞬真剣な眼差しをして問いかける。 「…なぜです?」 「流れた血を、全て洗い流してしまうから」 そう言ったの瞳は、 感情の無い、無表情そのものの色に染まっていた。 「倒れている敵だった人間の体や、自分の手、 握っている剣を染めている血が洗い流されていくのを見てると、思ってしまう。 流されていく血と共に、自分がそこでしてきた事が、 無かった事にできるんじゃないか、って…」 が静かに両腕を雨の中に晒すと、 未だ止む気配の無い雨が、あっと言う間に掌に水溜りを作り出す。 「…―――過去は」 「変えられない。分かってるんです、そんな事は」 でも、私は愚かだから。 逃げ道を探さずにはいられないから。と、 ジェイドの言葉を遮ったの顔には、自嘲気味な笑みが浮かんでいる。 「─いくら表面ばかりキレイにしようと、中身まではどうにもならない。 汚いまま…。それを茶化そうとするものは、嫌いです」 一番嫌いなのは、それに縋ってしまいたくなる自分自身なのだが。 そこまで言った所では両腕を下ろし、口を噤んだ。 「――ごめんなさい、聞きたくもない事をぺらぺらと…」 肩をすくめたに、 それまで真剣な面持ちで話を聞いていたジェイドは笑みを零した。 「いえ?謝る必要はありません。珍しいものを聞けましたし」 そして、いつもの不敵な笑みとは少し異なった、何処か気遣うような笑み。 「…」 勢いに任せて語りすぎてしまったとは後悔した。 だが、自分の内面をここまで人に話したのは、いつぶりだろうか。 かなり珍しいことは確かだが。 「ま、表面ばかりキレイなのは、私も同じですねぇ」 フォローをいれるつもりなのか、ジェイドは穏やかに呟いた。 「…え?」 「私の手も、汚れています…むしろ、あなたより私の方が──」 ─多くの命を奪ってきたんですから。 「―――それは、どうでしょうか」 その言葉にジェイドがを見下ろすと、 何を言おうとしているのか感づいたらしいが 苦笑いでジェイドを見上げていた。 「…?」 「自分が何を成すべきか解かっている人は、その過程で 例えその手が血に染まっても、それを汚いとは言わないと思います。 …私の、屁理屈なのかも知れませんけど」 の引っ込めた両掌から、細い指を伝って雨水が地面に滴っている。 確かに、人を殺めたという事実に基づいた ジェイドのいう“汚れ”というのもある。 ただ、それだけではない。そもそも、数の問題でもない。 「私の言っている“汚い”とは、人の命を奪って…大きな犠牲を生んでおきながら、 自分のした事を自分自身が信用できない、責任を持てないという事。 疑って迷って、逃げ道をさぐってしまう卑怯さの事です。 …だから、大佐は――」 「ありますよ、私だって迷う事くらい」 「―――え」 雨足が、ほんの少し弱まった気がした。 「まぁ、流石に昔の方が、よく迷ってましたがね」 ジェイドは眼鏡を外すと、 懐から取り出した布でレンズについていた雨水を拭き取りながら 雨雲の薄くなった空を見上げた。 「…何故、あんなものを作り出したのか…とか」 「!」 フォミクリーの事を指しているのか、 それとも自分の知り得ない別のものの事を言っているのか。 決して聞いてはならない雰囲気ではなかったが、 なんとなく問いただすことを憚られたは沈黙を守ったまま 相変わらずの微笑を浮べるジェイドの横顔を見つめた。 以前、過去に戻れるなら自分を殺したいと言った時と同じを眼をして ジェイドは言った。 「―――あの頃は、あれが、私の全てでした…そうとしか、思えなかった」 だがある時、気付いてしまった。 「…今は…?」 「ものを創り出すには若すぎた、と思っています」 若かったんでしょうねぇ、私も。と いつかジェイドが自分を卑下して言った言葉がの脳裏に蘇った。 「…考えが変わると、後悔や疑問も自ずと生じてくるものですから」 「それが必然なんですが、ね」 どこか納得していないような素振りで 口元に苦笑いを滲ませながらジェイドが眼鏡を掛け直す。 その様子を見ながら、は自分の中で何かが変わっていくのを無意識に感じていた。 今まで心の中で引っ掛かっていた何かが、外れていく様な――― その何かが分からぬまま、の顔からは苦笑いともとれる笑みが浮かぶ。 下から覗き込むようにジェイドを見上げると 拭きたての眼鏡の奥からを見下ろす真っ赤な瞳を見つめて言った。 「でも、その後悔や疑問を背負っていると云う事は、 大佐がそれだけ変わったという事でしょう?」 変わるために背負った苦しみなら、それは必然。 苦しみがなければ、変わる事は出来ない筈なのだから。 しかし百も承知の事だと思っていても 気付けば、振り返っている。 こんな思いをしなくてもいい道が、あったのではないかと。 「――…」 沈黙した二人の耳にはもう、雨音は聞こえなかった。 背筋を伸ばし、、壁に背中を預けたが溜息をつく。 「――何か、変な話になってしまいましたね。 何でこんな話に…って、原因は私か…」 視線を落とし、自分の足元を映している水溜りを蹴っ飛ばした。 「いえいえ、私も便乗させて頂きましたから、同罪です」 「便乗って…」 ジェイドの笑みにつられて笑んだは、続けて言う。 「…にしても、珍しいですよね」 「何がです?」 「大佐が自分の話をするのは―」 は気付かなかったが その一瞬、ジェイドは軽く眼を見張った。 「…。…そう、かもしれませんね。 でも、あなたには―――……」 そこまで言って口を噤んだジェイドには首を傾げる。 「?」 町並みは、いつの間にか明るくなっていた。 雨は止み、空はすっかり晴れ渡っている。 路地に隣接する建物の隙間から垣間見える青空と 浮かんでいる幾つもの白い雲の塊をジェイドは見上げ、 困ったように笑みを零した。 「いえ、何でもありません。雨も上がったことですし、行きましょうか」 眼鏡の位置を直すと体の向きを変え、 樽の上の大荷物を軽々と抱えた。 「?─あ、…そ、そうですね」 そしてさっさと歩き出したジェイドの後を、が慌てて追いかける。 何を言いかけたのかは気になるが 一旦誤魔化しを決め込んだジェイドの口を割らせるのは不可能に近い。 問い詰めてもあっさり返り討ちにされるのがオチだろう。 だったら、何も聞かない方が良い。 今は何となく、歩きたい、と思う。 雨上がりで人通りの少ない大通りに出た直後、 「大佐!早いです!」 背後から声が飛んできた。 「そうですか?足の長さですかねぇ」 「酷いッ」 後ろから近づいてくる足音に振り返る訳でもなく 開けた青空を見上げたジェイドの眼に、あるものが映る。 「…―――――」 「ッ何ですか?!」 やっと追いついてきたに ジェイドは空を指して言った。 「上を、御覧なさい」 「え?―――――あ」 視線を移した先に見えたのは、青空に映える七色の帯。 「虹…!」 「珍しいですね、この地域で虹が見えるのは」 きれい、と呟いたの隣で、 ジェイドは独りでに苦笑いを浮べていた。 危うく口を滑らせてしまう所だった、と。 ―――あなたには、解かって欲しいと思いますから。 溝に降る雨-後編 end |