午前八時四十九分。。いつもの出勤していた事務部署を通り過ぎ、
は新しい職場へと足を運ぶ。


「おはようございます」
「お、おはようございます、少尉!」

自己紹介は昨日の内に済ませた。
ただ、それからすれ違う兵士達が、挨拶を交わしながらも異端の目で見てくるのが
いささかの疑問ではあるが。

既に自分の上官が出勤し
執務室の椅子に腰を下ろしている事を想定していた
扉を開け放つと口を開いた。











「おはようございま――――………。。」








いない。

爽やかな朝の挨拶の文言は、行き場を失くしてしまった。






















公設秘書? 初出勤編




















執務室は、美しい程蛻の殻。
昨日と違う所といえば、上官のデスクの上に場所を取っている
早朝運ばれてきたのであろう書類の山。


「(来てない…!?っていうか、仕事多っっ)」


流石は師団長、といった所か。書類の量も半端ではない。

荷物を自分の机上に置くと、は早速その仕事の山に手を付け始めた。
事務員の本能というものか、未処理の書類は放ってはおけない。



長身の人影が扉の向こうに現れたのは、それから大分経ってからの事。

午前十時。慌てた様子も無く、静かに扉が開かれる。









「―――おや、早いですねぇ、おはようございます」


「おは…って、カーティス大佐!!出勤時間とっっくに過ぎてます…!」

悠々と執務室に入ってきたジェイドを最後の書類を分別し終えた
すごい勢いで見上げると、深紅の瞳と視線が衝突した。
対して、当の本人、ジェイド・カーティスは
ただ穏やかに微笑んでいるのみ。



「いやー少し寝坊してしまいして…出勤初日早々、失礼しました」

「…。」



帝国軍大佐が寝坊?しかも、特に何の罰則も無さそうだ。

「(職権乱用?)」

訝しむの面持ちを一瞥した後、ジェイドは彼女の手元に注目した。


「…それは、今朝の分の書類ですか?」
「?あ、ええ、そうです。とりあえず確認できる所は
 確認して埋めておきましたので、
 後は大佐が一通り目を通して、承認印押して下さい」

提出してきますから、とは何十枚にも及ぶ書類の山の上に
承認印の判子を乗せ、それらをジェイドのデスクの上にどさりと置いた。

感心したようにジェイドが笑みを深くして呟く。

「…―流石ですね」

殆どの書類の流れが分かっているからこそ、
どう処理すべきかが容易に解かる。
事務部署にいた事が功を奏しているのだろう。

「事務に関しては、お任せ下さい」
その言葉に、いたずらっぽく上官が笑みを零した。

「事務に関しても、でしょう?」
「いえいえ、そのネタはもういいですから…」

もはや譜術士である事はバレており、それを認めたは良いが
こうもちくちくと言われては流石に困りものだ。
溜息をついたに、

「ま、いいでしょう」
気を取り直すようにニコッと笑いかけると、
自分のデスクに歩み寄りながら続けた。

「では、その手際の良さならこれも任せて大丈夫ですね?」

席に着いたジェイドは引き出しの下段をがらりと開けると
そこからの予想だにしないあるものを取り出した。

「え?」
「正午までに仕上げて下さい」
「ぇえ!?」

罠か、と言いたくなる程の新たな書類群が
ジェイドの手からに手渡される。
どうやら自分が溜め込んでいた分も入っているらしい。
カウンターの様にに渡された書類の山は目分量から予測しても、
昼までに仕上げるのは至難の業である様に思えた。

「わ、分かりました…な、なんて無茶な…」

「それから―――

「ハ、ハイッ!?(呼び捨て!?)」

青ざめていたに、更にジェイドが畳み掛けた言葉。



















「仕事に取り掛かる前に、お茶をお願いしますw」












「……。。」














勤務初日。
分かった事が一つ。

新しい上官は、人遣いが荒い。

午前中、声にならない叫びが執務室に響いた。





一通り仕事を覚え、更に曲者の上司のペースに慣れるまで一週間、
はこれまでにない程慌しい生活を送る事になる。




そうして、ある程度の仕事をこなせる様になった頃。







「大佐!資料三枚目が抜けてます。さ、早く持って、
 あと三分で作戦会議が始まってしまいますよ!!」

配布資料等々をがジェイドの両手の荷物の上にどんどん重ねていく。
相当な重さになっている様にも思えるが、
当の本人はケロリとした顔で、自分の副官を静かに見下ろして言う。

「今日は、あなたは来ないのですか?」

その問いに、机上を片付けながらが答えた。

「本日の会議参加者は師団長、少将以上の者のみですから。
 私は残った分の書類を処理しておきます」

「そうですか…わかりました、では、、」
何処か残念そうな物言いに、は小さく笑みを漏らして答えた。
「忘れ物の、無い様に」
「はいはいw」

ふとの脳裏に思考がよぎる。

「(そういえば、大佐って…)」

どんな状況でも、いつも微笑んでる様な…。

たまに薄っぺらな作り笑いにしか見えない時もあるが。






ジェイドを会議に送り出した後、
席に着くと残った書類を処理し始める。

しばし、執務室には紙にペンを走らせる音のみが響いた。




ここに出勤するようになって、何日経ったか。
師団長、ジェイド・カーティスの人遣いの荒さは相変らずだが
それも慣れれば大した事は無い様に思えてきた。
副官としての仕事も、大まかではあるが全体としては覚えた。
毎度毎度お茶汲みをさせられる辺りは、
副官というより世間で言う秘書、というやつに近い気もするのだが。
それは気のせい、という事にしておこう。




何枚かの書類の記入を済ませ、
丁度タルタロス運行費明細書に手を伸ばしたその瞬間、
ドアが開かれた音によって静寂の均衡が破られる。


「?」



会議が終わるにはまだ早すぎる。
ジェイドでは無い事は確かだ。と、ぱっと顔を上げたの目に、
思わぬ人物の姿が映った。





「なんだ、ジェイドは留守か」




耳に届いたのは、遠くからしか聞いた事が無かった声。
ジェイドよりも少し背が高く、肩口辺りまで伸びている金髪に
青い髪飾りが映える色黒の男性。

否、この国ではこの人物を"男性"などとは呼ばない。


固まったの手から、ペンが転がり落ちた。
そして国民の誰もが知っている、その名を口にする。











「ピオニー陛下…!?」













開け放たれた窓から吹き込んできた風が
机上の書類を何枚か巻き上げ、床に舞わせた。

まるで、波乱を予期する様に。







end