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ポツポツ、と江戸の街に降り出した雨が道を濡らしていく。水溜りに覆われていく道を遠目に見ながら、 「あーぁ、降ってきちゃった…」 女はカウンターに肘を着き、呑気な溜め息をついた。 天気予報 「、傘持ってないの?店の使っていいよ」 皿を拭きながらカウンター越しに幾松が言う。 買い出しに出掛けたついでに古くからの友人が営んでいるうどん屋に立ち寄るのはのいつもの行動パターンで。 今日はたまたま結野アナの天気予報が外れてしまった、ただそれだけの話。 なのだが、如何せん天気予報を信じて傘を持ってこなかったため現実にはこうして立ち往生する羽目になっている。 は一瞬考えるような素振りを見せたが、 「ん、ありがと。でも良いや、急いでないし、止むまで待つ。」 話し相手もいることだしね、と柔らかに笑った。 「うどん一杯で一刻以上居座ろうなんてほんと、良い度胸してるよアンタ」 「良いじゃない、最近は結構繁盛してるんでしょ?イケメンな店員が入ったとか何とか…」 「アイツは正式に雇ってる訳じゃないから。時々、勝手に来て勝手に手伝ってる、それだけ」 無頓着に皿拭きをしている様に見えて、その表情は至極柔らかなものだ。 夫が逝去して間もない、あの頃に比べたら。 「ふふ、無賃で?」 「賄いでいつもうどんだけ食って帰ってくわ」 「へぇ〜」 頬杖をついてにやりと笑みを浮べたに 幾松が不快そうに口を尖らせた。 「………何よ」 「んーん、何でも」 「…フン…あんたの方こそ、どうなのよ。あの人、江戸に来てるって聞いたけど、あんた―」 言いかけて、そして視線を手元から離した幾松は視界にあるものを捉え、言葉を一旦噤んだ。 「―――無用な心配だった様ね」 「?」 幾松が店の入り口を目線で指し、がカウンターから同じ方向を顧みる。 半開きになった店の入り口、摺り硝子の引き戸の向こうに人影があった。 摺り硝子の端から一瞬見えたのは紫色と黄色の裾。 「あら」 珍しい事に、は目を丸くして驚いた。 「雨が止むのを待つまでもなかったじゃない」 「うーん、明日は雪が降るかも」 静かに笑んだ幾松の方に一旦向き直り、は席を立つ。荷物を抱え、 「雨宿りさせてくれてありがと、また遊びにくるから」 「今度はもっと注文してくれなきゃ、居座りお断りだからね」 「はいはぁーい、じゃね」 入り口に佇む人影に歩み寄っていくの後姿を眺め、幾松が呟く。 「あんたも随分物腰穏やかになったもんだよ、」 「………」 ひょこりと引き戸から顔だけを出し、その姿を見上げた。 見上げられた当の本人は暗い曇天を見上げたままで、 目も合わせることなく組んでいた腕を解くと 傘を差してすたすたと歩き出す。 「…」 は数秒、その場に立ち止まったままその後姿を眺めていたが 「・・・・何だ、置いて帰られてぇのか」 鬱陶しそうに傘の下から振り返られ、 「あっ、ごめんなさい―」 慌てて彼の元に駆け寄った。 左隣に並ぶとさりげなく傘を傾けて雨を遮ってくれる。 は僅かに彼、高杉の顔を覗き込むようにして言った。 「…ありがとう」 左側を歩いていては左目が包帯で覆われている高杉の表情を見ることが出来ない。 だからは何度か右側を歩こうとした事がある。しかし、その度に、 『…、左だ。何度も言わせるなよ』 『何か不都合な事でもあるの?』 『右を歩かれると落ちつかねえ』 普通、見えない方に歩かせる方が落ち着けなさそうに思えるのだが。 もしかしたら、逆に見られる方が落ち着かないとか? 稀代の攘夷志士の思う所は、計り知れない。色々な意味で。 『・・わかった』 そんな件で、今では言われずとも左を歩くようにしている。 ヘタに詮索するとお仕置きされかねないので これ以上はやめておこうと判断するに至った訳だ。 「この借りは高くつくぜ、三倍返しでも足りねぇなぁ」 「えぇえ・・・仕事のついでなんだから良いじゃない」 「関係無い」 嘘でも、わざわざ迎えに来てやったって、言ってくれれば良いのに。 なんて。 「ホント、ありがとね」 天気予報が外れるのも、悪くない。 しとしとと降り止まぬ雨の中、足並みを揃えた二つの足音が 通りを歩み、遠ざかっていった。 「たっだいまー」 「おや、さん、雨は大丈夫でしたか」 傘をお持ちでなかったのでは?と出迎えた武市に 草履を脱ぎながらは笑みを返した。 「あ、うん、幸運にもお仕事帰りの晋助さんに拾ってもらっちゃった♪」 三倍返しらしいけど。 その言葉に、武市が首を傾げる。 「…?」 「どしたの、武市さん」 「いえ、晋助様から今日は取引の予定はないと聞いていたので・・・」 「え」 きょとんとしたの背後、玄関に傘をたたんだ高杉が入ってきた。 壁際に濡れた傘を立て掛けようとして、そこで二人の視線を感じ、顔を上げる。 「何だ、二人して」 ぽたり、と傘から雨水が滴り落ちた。 end |